英語との出会いから留学をするまで
中学校で英語の授業が始まるまで、英語と触れ合ったことなんてほぼ無かった。もちろん、英会話教室に通ってもいなかった。
私が小学生の頃は5年生から週1回だったかな、英語の授業があったけど全く楽しいと思わなかったし、興味も持たなかった。
周りに英語を流暢に話す人はいなかったから、英語を話す人なんて自分からは遠いどこかのお国にだけいると思っていた。
そんな私は、中学受験をして入った学校で衝撃的な出会いを経験する。
クラスに帰国子女たちがいた
帰国子女と出会った時に全身に衝撃が走った。
「え?この人たち私と同い年なのに、なんでガイコクジンみたいに英語喋るの?そんなこと可能なの?」
「かっこよすぎる。」
一瞬で彼らに目を奪われたし、私もそうなりたいと思ったあの瞬間を今でも鮮明に思い出せる。
彼らは英語を流暢に喋るだけじゃなくて、どこか周りの子たちより大人びていた。
とはいえ、当時の私はアルファベットの大文字はなんとか全部書けたかもしれないけれど、小文字は書けない、そんなレベル。
それでも、いつか彼らのようになりたいと目をキラキラさせていた。
初めての英語の授業
英語教育にそれなりに力を入れてる中高一貫校だったので、周りの子たちは帰国子女じゃなくても、小学校の頃から英語教室に通っている子が多かった。
その中に英語なんて「ハロー」しか知らない私が紛れ込んだらそりゃ差を感じない訳がない。
私が知っていたのは「Hello」じゃなくて「ハロー」だったもん。笑
でも、担当の英語の先生が本当に良い先生だった。私、すごい幸運だったと思う。
初めての授業のあとにわざわざ私を呼び出して、「初めは周りの子と差を感じるかもしれないけど、私についてくれば絶対大丈夫だからね。一緒に頑張ろうね。」って言ってくれた。
なんて良い先生なんだろう。きっとこの先生に出会ってなかったら、今頃私は英語が嫌いになっていたかもしれない。
感謝してもしきれないし、1つ1つの人との出会いが自分の人生を作っていく要素になるんだなって思う。
そして、そんな暖かな言葉をもらった12歳の私は「てことは、頑張ればいつか帰国子女の子たちみたいにペラペラ話せるようになっちゃうかも〜」なんて呑気なことを考えながらも、頑張る決心をした単純野郎であった。
その頃から海外に漠然と憧れを抱く
まだその頃は、英語しか通じない場所に行ったことがなかった。
だから、海外=アメリカみたいな考えだったし、日本国外の世界を全く知らなかった。
そんな少女が、その知らない世界に何年か住んでいたお友達ができたら憧れを抱いちゃった。
「私も住んでみたい!カッコいい!」
ただカッコいいという理由だけで、海外に住んでみたくなっちゃう私は、やっぱり単純野郎だった。
留学というものを知る
どのタイミングで、何がきっかけだったのか、全く思い出せないけれど、留学というものがあると知った時、いつか絶対行こうと決めた。
「私も帰国子女の子たちみたいに外国に住んでみたい!そしたら、彼らに近づけるはず!」
そして、海外に出ると英語以外にいろんなことを学べると段々分かってきた。
日本には無いようなことが体験できる。良いことも悪いことも。
そして、それらを知ることで自分の視野が広がると思った。
高校留学を志す
まず、初めに出会った留学のチャンスは高校生のときだった。
学校のプログラムで、1年間留学できるというものだった。
行くしかない!とワクワクしながら校内説明会に行くと、厳しい現実にぶち当たる。
申し込みできるほどの成績がない。
爆笑。
いや、私成績悪かったの。本当に。
今なら笑えるけど、当時はショックだった。
諦めるしかないって事が、頭では分かっていたけど受け入れられなかった。
とにかく、早く外の世界を見て住んでみたかったから、目の前のチャンスを掴めなかった事が悔しかった。
じゃあ大学生になったら留学しよう
切り替えられたら、もう後ろは振り返らなかったね。なぜか。笑
仕方ない!大学生で留学しよう〜!ってまた呑気モードに突入。
次のゴールは志望校入学より、とにかく一年留学することだった。
大学受験、滑り止めしか受からず
うん、そのまんま。滑り止めしか受からなかった!
そのときは、沢山泣いてショックで吐いたりもしたけど、入学したらまた「留学したい!」しか考えられなくなっていた。
今考えると、本当に留学に対して熱い想いを持っていたんだな〜。
あまり、これをやりたい!って強く願ったり、長く同じ夢を持ち続けた記憶がない。
でもなぜか分からないけど、留学は中学入学から、実際実現させた大学2年生になるまで、ずっと私の中で目標であり続けたし、夢であり続けた。
それほど、中学入学したときに出会った帰国子女に憧れを抱いていたんだろうなぁ。
大学入学後、留学を計画し始める
大学の決まりで、早くても2年生からしか留学ができなかった。
だから、2年生で留学をするために説明会に行ったり、留学担当の人に話を聞きに行ったりした。
そんなこんなで、行く国と、場所、学校を決めて手続きを開始した。
けれど、それが当時の私には本当に大変だった。
大学が紹介してくれた無料のエージェントを通して、全部手配したんだけど、あくまで無料だから全てやってくれるわけではないのね。
だから、英語の書類を全部自分で入力して提出しなきゃいけなかった。
これから英語勉強するのに、こんなのできたらもう行く必要ないじゃん!とかブリブリ文句言いながら、半泣きでこなした。笑
学生ビザの取得で、ついに半泣きから本泣き。笑
いや、もうあれきつかった〜。
何枚にも渡る書類を、ミスがあったらビザおりませんとか言われたプレッシャーの中で、必死に辞書引いて埋めていったけど、当時の私には英語が難しすぎた。
ビザ申請代行とか調べたけれど、費用が3万円とかで、即却下。
そんなにお金かけられません。
何日もかけて、本当に泣きながらやった。
それでも、留学を諦めなかったのは、強い意志があったから!
って言いたいけれど、周りに嬉しくて「私留学行くの〜!」って宣言しちゃってたからっていうのが大きいと思う。笑
だから、何か成し遂げたいときに周りに宣言して自分を追い込むのは、1つの手段としていいかもしれないね。笑
まあ、泣きながらやったビザも無事発行されて、一年留学の切符を手に入れたとさ。
文章で書いたら簡単だけど、やっぱり準備は辛かった
何から何まで自分で準備した。
「そんなの留学行くなら当たり前じゃん」とか言われるかもしれないけれど、他人になんと言われようとやっぱり大変なもんは大変だったし、辛いもんは辛かった。
でも、乗り越えたよ!
だから、きっと夢ややりたい事があれば、弱音を吐きながらも、泣きながらも、たまに投げ出しながらも、なんとかやるべき事を乗り越えられるんじゃないかなぁ。